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人間は発した問題は人間が解決すべき
明治の文豪・夏目漱石は、“吾輩は猫である”の中で面白いことを言っております。曰く、
「元来人間というものは自己の力量に慢じて皆んな増長している。少しは人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分からない」とのこと。苦沙弥先生の家で飼われている猫が人間の本質の一端を鋭くえぐった言葉としては、小気味いいぐらいに明快です。
今日の“エコ”なる言葉も、つきつめて見れば、そんな人間のエゴが招いた反省の現れとも取れるものです。現実の問題として、人間はこれ以上、地球環境を破壊するわけにはいかないところまですでに来てしまっております。所詮は自然界の一員であるはずの人間が、自分たちだけのために、あるいはわずかな者たちの金銭欲のために、本来、自分たちのためにもなければならない自然を破壊してきたのであります。
こんな愚行の根本には、何があるのでしょうか。要するに、“人間のエゴだ”と言ってしまえば、確かにその通りです。しかし、より深く物事を見極めようとした時、そこには“他者のための自分の欠如”という問題に突き当たるような気がするのです。つまり、誰かは誰かのために、何かは何かのために存在するのだという、もともと自然界にある法則にしたがって生きていれば、それこそより根源的な“エコ”ではないかと考えるのです。
商店にエコグッズが並び、人々がエコ活動に勤しむのは大変にけっこうなことだと思います。しかし、その真ん中にあるはずの人間自身に、もし“他者のための自分”というものが欠如しているとしたら、せっかくのエコ活動も単なるイベント的なお祭りに終わってしまう可能性すらあると思っているのです。
エコならびにエコ活動は、どこまでも増長する人間がハタと立ち止まって、“他者のために存在する自分”を胸中より見出してこそ、そこから見事に始まるのだと考えるのです。ともあれ、人間から出発した問題は人間が解決する以外にありません。そして人間は必ずそれができる生き物なのだと信じております。
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